Cocco / 流星群

廻れ 天体(ほし)よ 光り 放ち
進め 前へ 前へ
走れ そして
手を取るのは いつか
どこか 辿り着いた時に


こんな空に きれいなまま
誰か 泣いて 泣いて
どうか 光れ
たかが 愛の歌よ 響け
窓を 開けて 放て

音速パンチ』のカップリング『流星群』。今、彼女は未来を信じているのだなぁ、と思った。昔の曲を聴くと、彼女にとっては"未来=永遠"だったのではと思う。

見えない永遠など 私はこの手で つくってゆくから(走る体。)
永遠を願うなら 一度だけ抱きしめて その手から離せばいい(樹海の糸)
永遠だと言って 愛してるって言って(風化風葬)

その頃の彼女の描く未来は、築き上げてゆくものではなくて「あなたが傍にいる」という現状の延長だった。もしくはそれが叶わないと知りながら、そんな未来を願い夢見ていた。
けれど、この『流星群』の一節

手を取るのは いつか どこか 辿り着いた時に

というのは、「お互い違う道を走っていてもいつかまた巡り合うだろう、その時にまた手を取り合おう」と、「あなたが傍にいない」未来を受け入れて、けれどさらにその先のことを信じている、前へ前へと自分の力で進もうとしている彼女の強い姿を連想させる。永遠など、もう望んでいない。それは永遠を諦めたわけではなくて、未来を信じているから。だから、前へ前へと進んでゆける。
もしかして、『もくまおう』の

変わっていく私を 笑ってもいい
変わらない想いを 覚えていて

というのも、永遠ではなくて未来を信じ始めていたからなのかなぁ。強いなぁ。
約10年という歳月の中で、彼女を変えたものは一体何だったんだろう。